makiのきまぐれ御朱印旅

御朱印ブームにのっかった神社やお寺のお詣り記録です。

玉造稲荷神社をお詣りしてきた。

実は、いくたまさんから小一時間、てくてくてくてくと歩いてきたので

突然目の前に現れた隙間の先の朱塗りの本殿の姿を認め安堵。。

 

玉造稲荷神社

「玉造」ってとこが上から訂正したみたいなんだけど(^^;

後ろにある「玉作」岡 の字だったのかしらね???

 

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石の鳥居も新しく、朱色もきれいなこじんまりとした神社さんです。

稲荷神社っていうわりに、赤い鳥居がたくさんあるわけでもないけれど・・・

ホームページを調べますると。。。 

古くから五幸稲荷大明神として崇敬者に慕われ、江戸時代には創祀年代の古さから地元では「もといなり」と言われていた。
伏見稲荷大社のご分霊を直接祀らない稲荷社で豊臣秀吉公が稲荷の信仰者であったことや伏見の住民を玉造の地へ住まわせた関係で稲荷神を特に崇められたと考えられている。

ということらしいです💦

 

さらに、ご由緒を読みますと。。。

創祀は紀元前12年までさかのぼるそうな。

その後は物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子が戦勝を祈ったのだとか。

近年では豊臣家が大阪城鎮守神として祀ったとか。

戦前には全国の神社が国家管理となったことから「府社」になったそうな。

 

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狛犬さんは、わりと、オーソドックス。。。

そうそう、入り口の石の鳥居が新しく見えたのは、阪神淡路大震災の時に

基礎に損傷が生じて、お役御免になったそうです。

ただ、その鳥居は豊臣秀頼公が奉納されたものらしく

 

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今もきちんと、保存されておりました。。。

 

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秀頼公。秀吉公と淀君のお子様よね。。

豊国神社の秀吉公は、(確か)戦姿でしたが、こちらは、お勤め姿ですね。

でも多分、見つめているのはお二方とも大阪城。。。

 豊臣家、大阪城にまつわる神社が末社としてありました。 

 

「秀頼公胞衣塚(よなづか)大明神」

 豊臣秀頼公と淀殿を結ぶ胎盤、卵膜などが鎮まっているそうな・・・

 これだけ聞くと??ってなりますが、説明文を読みますと。。。

文禄二(1953)年、豊臣秀頼公御生誕の砌、公の胞衣(大阪ではヨナと呼び淀殿胎盤、胎児を包んでいる膜など)を埋め申したのが大阪城三の丸に当たる当玉造の地であった
昭和二十年の戦火による消損のため、上町1丁目から玉造1丁目へ遷座申し当社宮司が斎主となり奉祭
このたび大阪城築城四百年を吉兆とし大明神を公ゆかりの当社境内に遷座申すこととなった。

ということです。。。なるほどね~。

  

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 鳥居の横にある笹をご祈祷の上もらい受け、子の寝床の下に敷けば

夜泣き子の悩みを封ずるのに、霊験あらたかと信じられているそうな。。

 

 

「新山(しんやま)稲荷社」 と 「萬慶(まんけん)稲荷社」

 

新山稲荷社・・松平輝和が、清水谷の大阪城代下屋敷で祀っていた稲荷社

萬慶神社・・豊臣家が大阪城内で祀っていた稲荷社

 

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びっくりするくらいの数の狐様に、圧倒されてしまいますが。。。

松平輝和さんとは寺社奉行大阪城代だった人らしい。。

寺社奉行は江戸時代の三奉行の一つ。他は町奉行勘定奉行

大阪城代とは、城に駐在して城の保守や市中の訴訟、西国の監視をする役職の人。

 調べないと、さっぱりわからん。。。勉強になります!

 

なるほど。豊臣家、そして大阪城ととてもゆかりの深い神社さんという事ですね。

 

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 無事御朱印もいただきまして、帰り道。。。

 

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神社につきもの(!!)の石段発見!!

こっち方面からの参拝でなくてよかった。と胸をなでおろすも

真っ暗な空からは、雨粒が。。。

お詣りの間は、お天気持ってくれたからよかったよかった。

そして、私は、大阪城(ホール)に向かうのでした。