菅原院天満宮神社から更に北上すると、神社の壁らしきものが見えてきた。はたしてそこには、数枚のお札が飾られていた。。。
護王神社にまつわるお札だという事らしい。和気清麻呂公と護王神社拝殿、本殿そしていのしし。。。
ググった時に、確かにいのししがいっぱいいるとは書かれていた。そうするとここに祀られてるのが和気清麻呂公なる人なのね。。。
そしてその隣にはいのしし神社のおはなしという昔ばなしの看板が・・・
和気清麻呂公が、皇室の安泰を守られたことを感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにした。その一行が豊前国にさしかかった時、どこからともなく三百頭ものイノシシが現れ、清麻呂公の輿の周りを守りながら十里の道のりを案内してくれた。イノシシたちは宇佐八幡に着くと、またどこかへ去っていった。
先に刺客に襲われ清麻呂公を悩ませていた足の痛みも不思議と治ってた。
要約するとこの通りで、なるほど、これですべてのいわれが明らかになったわけです。
和気清麻呂公・いのしし・足腰の御守。なるほどね。
またまた道の向こう側から。わかります?そう、狛犬ならぬ、狛いのししさん!
鳥居をくぐるまでに、もう大騒ぎで。。。表門をくぐってやっと境内に。。。
入ったところで、手水舎もいのししくん笑 ってか「幸福の霊猪」の名をいただき「鼻をなでると幸せが訪れる」といわれているそうな。。。
ただ、ここは現在コロナ関係?でお水だしてないそうで、奥の手水鉢を使ってくださいって書いてあって、ずいぶん奥に行くとあった!っていうかいた笑
手をかざすとセンサーで水が出てくるという超ハイテク!一度かざすと結構な時間水が流れるので、ついつい何枚か写真を撮ってしまうかわいらしさでした。
拝殿は、もうすっかり新年の準備が整ってます。なんか、こちらの虎さん、めっちゃかわいい(^^) 散策後、帰ろうとしたら、この前で、保育士さんに連れられた園児さんが大騒ぎで写真撮影してました。ちっちゃなころに、多分本人たちは全然思ってないだろうけど、神社の大絵馬の前で写真撮影なんて、贅沢だわ~。なんてニコニコです(^^)
中門から、奥の拝殿を望みます。祈祷中だったから、本殿のお写真はあきらめました。
桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫(ひろむし)を最新とする神社。もとは、(洛西の高尾山)神護寺境内にあったが、明治19年(1886)この地に移された。
広虫が慈悲深く、胸中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ育児の神として信仰される。
ありゃま、保育士さんたちが、わざわざ写真撮影にくるわけだわさ笑
そして、あんな所やこんな所に大量のいのしし。私的に右上の絵馬になった木っ端でつくられたいのししくんに1票です笑
境内には、和気清麻呂公の立像も。
え?貸与なんだ。。。
どうぞ、私と、母の足腰をおまもりください。。。あ、ちなみに上の立像の手前にも足形あるじゃない?その手前の地面にも足形があって、ここでお参りしてくださいって感じがちょっと楽しかった。
そうなんですよ。いのししだけじゃないんですよ!こちら、日本一のさざれ石。日本国歌にでてくる「さざれ石」です。うん、今まで見た中で一番でっかい!!
さざれ石、おさらい
ここに文章学名石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)という。石灰石が長い年月のうちに雨水に溶解し、時には乳液状となって大粒な石、小粒な石を次々と集結して、自然に大きな巌となったものであり、大変目出度い石とされている
これで、見るとこおわりかな~って拝殿の中を覗き込むと、こちらもお正月仕様。なんだか、4面の壁になんか書いてあってなんだと思えば・・
四神(しじん)…
中国・朝鮮の多くの古墳をはじめ、キトラ古墳、高松塚古墳などの壁画に描かれている四神は、東西南北の守神を象徴する神獣で、東に「青龍」、南に「朱雀」、西に「白虎」、北に「玄武」を配します。これを秦にしたものを四神旗といい神社では御神前の儀飾として使用します
ということらしい。この奥は東に当たるから、あの額には「青龍」の額があるわけね。。。
・・・って玄武ってなにものだ?って思ったらこんなのもお正月用の提灯に隠れるように展示してありました。
そんなに大きな神社ではないんですけど、見所満載、ご利益満載。御朱印ももちろん。
右側には和気公総社ってかいてあるのかしら??