豊臣秀吉公を祀る 豊国神社と方広寺の鐘
11月16日。京都劇場での観劇を控え、さて、紅葉の季節、どこを攻めよう・・・と思うも、連日のインバウンドの回復、オーバーツーリズムの弊害などとニュースを見て、有名どころ(人が多そうなところ)には行きたくないとGoogleマップを眺めていたら、「豊国神社」のピンを見つけた笑
大阪城のふもとにあるのは、「ほうこく」、こちらは「とよくに」と読むらしい。もちろんこちらが、ご本山(?)
おりしも、NHK大河「どうする家康」のたまった録画をせっせと進め、秀吉が亡くなったところまで来ていたので、時期的にもどんぴしゃりじゃね??ってことで笑
場所的にも阪急の河原町駅から、JRの京都駅に向かうちょうど真ん中あたり。。。
狙わずとも、大きな銀杏の木が、キレイに色づいておりました。。。
鳥居からすぐ本殿が見通せるって、こじんまりしてるんだね。。。
大阪は立像でしたが、こちらは座像なのね。。。お顔の表情も随分違うわ。。。なんて思ってたら、正面に見えるは、唐門とのこと。伏見城の遺構であるとか。。。伏見城って家康。。。ってイメージなんですけど??
屋根の上に豊臣家の「桐紋」が!!そして、提灯も。。。かっこいいね。
ちなみに「桐紋」ってのは、もともと「菊紋」とともに天皇家のみがつかっていたものだそう。
桐とは、古代中国の神話に出てくる鳥、鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそう。日本に伝わった際、皇室のみが利用できる格式ある紋章だったらしいですよ。
天皇家から足利尊氏へ、信長へ、秀吉へと天皇家から有力な武家へ、その家臣へといった風に広まっていったんだって。。。
桐の花の数が左から五-七-五になってるから「五七桐」っていうそうよ。
慶長4年(1599)、前年に薨去された太閤豊臣秀吉公を奉祀する為、朝廷より正一位豊国大明神の神階神号を賜り、東山阿弥陀ケ峰に創建。元和元年(1615)、豊臣氏滅亡後幕府の命で廃祀とされたが、明治元年、明治天皇は祭祀の復興を命ぜられ、同6年別格官幣社に列し、同13年方広寺大仏殿跡地に社殿を造営し再興された。大正14年には秀吉公の夫人、豊臣良子方(北政所おね様)を祀る貞照神社が創祀され、現在では出世開運・良縁成就の神様として全国より崇敬を受けている。
唐門より中へ入ることはできなかったんですけど。。。。
唐門の扉(?)の豪華なこと!!
まぁ、豊臣秀吉って、絢爛豪華が好みだったものね。。。
豊国大明神の扁額と、鶴?鳳凰??鳥の彫刻まで、立派です(^^)
ついつい、あちらから、こちらからと、お写真を撮ってしまいました。。
この木は桜?梅??お花の季節に来ると、映えそうですね。
名前入りの石燈籠、座像、唐門の3点セットで!笑
で、こちらの座像の前の道を左手に折れると稲荷神社があります。
槙本稲荷神社。
その稲荷神社のさらに左手にでっかい鐘楼がありました。
実はさらにその左手側に方広寺っていうお寺があって、そこの鐘であるとのこと。
訪問した際は、それさえ知らなかった私であるが、こちらの梵鐘、「重要文化財」であるとのこと。さらに寸法が高さ4.2メートル外径2.8メートル厚さ27センチ重さ82.7トン。とにかくそのでっかさに引き寄せられた次第です。
で、同じころ、団体ツアーの添乗員の方が、刻まれた文言について語ってらしたんだけれども、私的には天井の絵がうつくしいなと。。。(説明書きによると、この天井画はもともと伏見城の女性の化粧室の天井画であったそうな。。。化粧室!?)
ただ、その文字がこの反対側に刻まれてるってことは耳に入り、写真に収めたはずがその写真はうまく取れてなかった。。。
俗にいう「国家安康の鐘」。
最終回を今晩夕方に控えながらもまだ追いつけていない大河を見ていると、「二人のプリンス」の回に、この鐘が出てくるではないですか!あ、添乗員さんが話してたことだ!!
国家安康(こっかあんこう) 君臣豊楽(くんしんほうらく)
家康の諱を刻みそれを二つに切り分ける 豊臣こそが「君」である。
大阪夏の陣への戦いの元になった鐘だというのだ!!
・・・ってここで余談。そもそも私は大阪夏・冬の陣が理解できてなかった。単純に秀吉がしんで、家康が天下人になったのに。。。。なんで豊臣??がまだいるの??って知識しかなかったから、豊臣家と徳川家の溝について、いま初めて学んでる。。。無知。。。汗
説明書きによると、「豊臣秀頼が、亡き父秀吉の追善の為作った鐘。表向きはそうなってるが、豊臣家の財力の消耗が狙いで徳川秀康が秀頼に勧めて作らせたもの」だそうで、よっか~。秀吉がしんで豊臣家がおわって、めでたく徳川の時代になったって単純じゃなかったんだなぁ。。。なんて、思ってたっけ(^^;
で、現地でツアーを率いてた添乗員さんは、これは「家康のいいいがかり」と話してらしたけど、大河で見るところだと、あの茶々がかき乱したせいで、豊臣が滅亡する。。。家康は戦いたくはなかったのに。。。って徳川寄りになっちゃう、単純な私。
まぁ、歴史なんてそんなもの。誰が話すかによって正義はくいちがうもの。
とにかく、後付けで知ることとなるにせよ、私は抑えるべきところはちゃんとおさえてるじゃん!!って得意になる笑
あぁ、鐘の持主(?)方広寺には、お詣りできてないけどね(^^; とりあえず、お寺は西国48か所でないところは、近づいていない傾向・・・・!?
御朱印はこちら。。。なんてかいてある??
あちこち調べてみた結果中央に「関白」それを挟むように「寿比南山 福如東海」
(幸)福は東海へ流れる水のように長く永遠に流れ、寿(命)は終南山に生える松のように老いることはない。という意味らしい。東海、南山は中国の地名なんだって!
歩いてたら突如出会った「ゑびす神社」
阪急河原町駅からJR京都駅に向かい神社を散策する予定の当日。
いきなり、鳥居に行き当たった。おまけに「お火焚祭」当日という。
縁起もよい「恵比須神社」お参りすることにした。
社伝によれば、建久2年(1191)、栄西禅師が宋(中国)よりの帰途、舟が暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵比須神が現れ、その加護により難を逃れたといわれ。建仁2年(1202)、建仁寺総研にあたり、境内に恵比須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、今もなお当時の産土神として人々の崇敬を受けている。
当日14時から催事があるらしく、神主さんが焚火(?)の準備をされてました。それに気を取られ。。。。たわけじゃなくて、久々の御朱印旅でカメラの動きが悪く。。。本殿の写真が。。。ない!?
お詣りすると、左奥に進んでくださいって書いてあったので進むと、なんだか小窓(?)的な穴が開いていて、「やさしくトントンと叩いてください(ゑびす様のお肩をたたくお詣りです。ノックをされるようにやさしくお願いします。」って書いてあって。。。。横からお参りするって、なんかドキドキ。お姿を・・・って思ったけれど、隙間(?)が小さくて、見えませんでした。。。(ってのぞいたらだめ!?)
鳥居をくぐってまず狛犬さんな私ですが今回はそれより気になることがたくさん。。
え?ふつう扁額がかけてあるところに、恵比須様が!!( *´艸`)
後で知ったことですが、ここで運試しができるんですって!?篭(?)や熊手にお賽銭を。。。うまく入ると願いが叶うんだとか。。。はい、是非次回、挑戦です!!
そしてすぐにとても素敵な恵比須様像が。。。釣り竿もって鯛抱いて・・・とても幸せな気分になります・・・
そして本殿右手側に、おなじみの梅の御紋。天満宮がありました。
「小松天満宮」
提灯がかわいい(^^)
そして、立派な角の牡牛様。
いただいた御朱印がこちら。初穂料は300円。鯛の朱印が素敵です(^^)
ちなみに右側「都七福神」の印がありますが。。。
日本最古の都七福神まいりのひとつであるそうな。。。七福神は7か所。今日は時間がないんだけれど。。。チラシを見れば、本来私の第一目的地であったところに弁天様がいらっしゃる??ちょっと、ラッキーな気分になる私なのでした。
11月の生田神社
11月。おでかけは2回しかないのに、前回忘れていたので、京都へ行く前に立ち寄るバタバタと参拝です。色づいた紅葉をバックに📷✨
いつもきれいな花手水。あれ?紫陽花があるわ!!なんか、気温の移り変わり、おかしいものね(笑)
まだ9時前。秋の空。。。って感じ?します??
社務所が開くのが9時から。まだ15分くらいあったので、「生田の森」に侵入しました。
生田の森の守り神「生田森坐神社」こちらにもお社があったとは。。。。
複雑に成長してしまった枝。。。最近、うちの庭木を切りまくったので、枝の伸び方(?)に気になっちゃうわ~( *´艸`)
なんて思ってたら、いい時間になったので。。。御朱印をいただきました。
「しもつき」
秋が深まり麗しく色づいた紅葉やイチョウを神戸の街にちりばめ、澄み渡る清らかな秋の情景をイメージしたものだそうです。
左下の参拝印が復活(?)したのがなんかうれしい(^^)
今年もあと1か月になりました(^^) 皆勤賞までもうちょっと♬