生田さんで茅の輪くぐってリスタート♬
コロナ禍とともに。。。。ということで、外出自粛が解けたので、そろそろぼちぼち遊びに行こうととった有給ですが、とりあえず映画を見るという事だけしか考えてなかった。。。んだけど、そうだ、やっと、お参りに行けるんじゃね??とせっかくだから七夕の御朱印頂けるところがいい♪と勇みネットで検索をかけてみるが。。。
で、やっぱり、ひっかかってくるのが生田神社さん。特別御朱印が出てるとのことでさらにしらべてみると、茅の輪ってのが今飾ってあるらしい。ん??なんて読む?かやのわ??その読みでとりあえずググるとヒットするものです(笑)
正式には、 「ちのわ」 と読みます。くぐり方にもいろいろあるらしく、一応作法を調べてから向かう私、雨がひどければ。。やだなぁ~って思ってたけど、ちょうど雨も小降りになりました(^^) 日頃の行いがいいからだわ♪
横断幕(?)の説明が立て看板で書いてあったので、転記しておきます(^^)
千燈祭と茅の輪くぐり
幾多の神様は生成化育を司どりたまい、延命長寿の守護神ですが七月十五日夕刻千燈祭という古くから行なわれて来た特殊神事を行います
これは本殿の左右に多数のお燈明をともし参拝人達は茅の輪くぐりをして身を清めもろもろのっ罪けがれ不吉不浄を祓い自分の年の数だけ灯をともし悪事災難を千灯で除去して神々しい気分になって神様のお守りを頂き一家の繁栄を願う行事です。
みな月の夏越の祓する人はちとせの命延ぶといふなり
参拝者なしで神事だけ行いますが、茅の輪はみなさまくぐってください。と、正面に設置(?)してありますよ!!
人っ子一人いませんよの貸し切り状態で、ゆっくりとお詣りできましたよ。で一応勉強してきましたが、場所によって作法が違う事もありますので。。。と説明してあったのですが、新設にくぐり方の図解が記してございました。
一応、左回りの時は左足から右回りの時は右足からと書いてあるのを読んできましたから、その通りに。。。。貸し切りといえど、ぐるぐる回るのはどんどん気が急いてきます💦これを貧乏性と呼ぶのでしょう(笑)
不吉不浄を祓ってもらえるとのことです。コロナが寄ってきませんように!!しかとお祈りいたしました。
そして頂いた御朱印が2種
茅の輪をイメージした左側は7月15日まで。
右側は七夕をイメージ。社紋の桜であらわされた彦星さんと織姫さんは赤い糸で結ばれていて、中央にはカササギが飛んでいます。幸せになりたい…♥ こちらは7月一杯いただけます。
コロナ禍にともない、郵送でも受け付けていただけるそうですよ!
はじめたばっかりなのに、外出禁止という足止めを食らった御朱印の旅のリスタートです。県外に出掛ける事が出来るのはでもまだちょっと、先なのかしら??
鵲森宮(森之宮神社)にお詣りしてきた
先月、COOL JAPAN PARK OSAKAに行く前に。。。大阪城公園前駅を乗り過ごし次の駅、森ノ宮駅まで足を延ばして(大阪駅からだとJR環状線、森ノ宮駅までは同料金!)森之宮神社へ行ってきた。いつものごとく、中に入ってから初めて知ることになるのだが、正式名称(?)を 鵲森宮(かささぎもりのみや)というとのこと。
かの、聖徳太子が建立された唯一の神社。
御祭神は、太子の父、用明天皇。。。。聖徳太子って、天皇家の子息だったということにまず驚く無知な私。。。
物部氏との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を作ることを誓われた。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさった。その後、太子は四天王像を造り、この森の元四天王寺を創建なされた。
いただいた由緒書に記されております。。。
鳥居の奥に見えているのは五幸稲荷社。
本社は右側奥にありました。。。
お参りしてふと視線を右に移すと、はかなげなお花が咲いております。。。
この鳥居のおくに、社務所があり、御朱印をいただき、お話を伺ったのですが。。。
「もう、桜が咲いてるんですね」。というと、かぶせるように、「桜違うよ、それは梅。」そうなのね。。。梅はもっと濃いピンクで、この薄桃色は絶対桜だと思ったのよ。確かに、2月の末だから。。。季節的にはそりゃぁ私だって梅かなとは思ったけれど、梅でも早いのに、さらに桜なんて!!って声に出した私を責めないで下さいよ。。
宮司さん、とてもお話し好きな模様で。。。私が呼び鈴を押して、御朱印をお願いしたすぐ後に、もう一方参拝の方がいらっしゃって、御朱印はこちらでいただけますか?って。。。だから、後にもう一人いらっしゃること、確実にご存じなはずなのに、御朱印を書き終え、私に手渡して下さる前に、たくさんの写真を出してきて、いろいろ説明くださいました。
終戦直後(?)の写真には、焼け野原となった街に、大阪城とこちらの神社の鳥居のみが焼け残ったように残されていて。。。お城は、なんにでもポイントになるんだよ。ってお話を聞き、次に見せて下さったのが右下鵲橋のお写真。
大伴家持歌碑 「鵲の渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」
すごいよ、「の」以外、全部漢字で書いてある!!(ように見える。。。)
一応、敷地内全て散策した後に社務所にお邪魔したので、こちらも負けじと話しかけます(笑)「百人一首の・・・先ほど、あっちで、拝見してきましたよ!」といえば、「この橋のことを詠んだとは、どこにも書いてないのやけどね」とまた篤く語ってくださいます。
当神社横を流れる天野川を空のあまの川にイメージして歌われました。大伴家持は744年2度目の難波宮に役人として勤務しており、中国の七夕伝説を鵲橋の上で思い出されたのでしょう。
宮司さんは、お話もさることながら、字を書くこともお好きなようで、あちこちに、手書きの説明文が張り出されております。。
あれ?書いてあることと、お話してくださったことが、微妙に・・・・!?(笑)
こちら亀井水は
1400年前 聖徳太子が当神社を立てるにあたり 温泉が湧いているのを発見。病の人に入湯を許すと病が癒え 命を保つと評判になり 門前市をなす賑わいとなった
ということです。。。JR森ノ宮駅あたりにあったのを工事により移設したとか。。。
そのむかし、千石余あったと伝えられている神領ですが、織田信長の石山攻めの時、武人の為に掠奪され、かつ建造物もまた兵火に被って、社殿はことごとく灰塵と化したそうな。。。
建物に挟まれ、窮屈そうな姿がちょっと寂しいです。。。
で、この御朱印なんですが。。。ネットとかで検索すると、どれも真ん中に鵲森宮の文字があるんですけどね、私のには、ない。。。まさか、お話に夢中で書き忘れたか・・・と思うもののそんなこと言えるわけもなく。。。
でもね、真ん中に字のある御朱印は上の丸い印が日付の上に来てるのね。だからあえて、字を書いてない!?それとも、ハンコを押すとこ間違えたから、こういうスタイルにしたか!?
ご本人にしかわかりませんが、これもまた、ご縁ということで。。。
所在地:〒540-0003 大阪市中央森之宮中央1丁目14-4
最寄駅:JR大阪環状線森ノ宮駅下車西側・地下鉄中央線 長堀鶴見緑地線森ノ宮駅下車7A出口南
玉造稲荷神社をお詣りしてきた。
実は、いくたまさんから小一時間、てくてくてくてくと歩いてきたので
突然目の前に現れた隙間の先の朱塗りの本殿の姿を認め安堵。。
「玉造」ってとこが上から訂正したみたいなんだけど(^^;
後ろにある「玉作」岡 の字だったのかしらね???
石の鳥居も新しく、朱色もきれいなこじんまりとした神社さんです。
稲荷神社っていうわりに、赤い鳥居がたくさんあるわけでもないけれど・・・
ホームページを調べますると。。。
古くから五幸稲荷大明神として崇敬者に慕われ、江戸時代には創祀年代の古さから地元では「もといなり」と言われていた。
ということらしいです💦
さらに、ご由緒を読みますと。。。
創祀は紀元前12年までさかのぼるそうな。
その後は物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子が戦勝を祈ったのだとか。
戦前には全国の神社が国家管理となったことから「府社」になったそうな。
狛犬さんは、わりと、オーソドックス。。。
そうそう、入り口の石の鳥居が新しく見えたのは、阪神淡路大震災の時に
基礎に損傷が生じて、お役御免になったそうです。
ただ、その鳥居は豊臣秀頼公が奉納されたものらしく
今もきちんと、保存されておりました。。。
秀頼公。秀吉公と淀君のお子様よね。。
豊国神社の秀吉公は、(確か)戦姿でしたが、こちらは、お勤め姿ですね。
でも多分、見つめているのはお二方とも大阪城。。。
「秀頼公胞衣塚(よなづか)大明神」
豊臣秀頼公と淀殿を結ぶ胎盤、卵膜などが鎮まっているそうな・・・
これだけ聞くと??ってなりますが、説明文を読みますと。。。
ということです。。。なるほどね~。
鳥居の横にある笹をご祈祷の上もらい受け、子の寝床の下に敷けば
夜泣き子の悩みを封ずるのに、霊験あらたかと信じられているそうな。。
「新山(しんやま)稲荷社」 と 「萬慶(まんけん)稲荷社」
新山稲荷社・・松平輝和が、清水谷の大阪城代下屋敷で祀っていた稲荷社
萬慶神社・・豊臣家が大阪城内で祀っていた稲荷社
びっくりするくらいの数の狐様に、圧倒されてしまいますが。。。
大阪城代とは、城に駐在して城の保守や市中の訴訟、西国の監視をする役職の人。
調べないと、さっぱりわからん。。。勉強になります!
なるほど。豊臣家、そして大阪城ととてもゆかりの深い神社さんという事ですね。
無事御朱印もいただきまして、帰り道。。。
神社につきもの(!!)の石段発見!!
こっち方面からの参拝でなくてよかった。と胸をなでおろすも
真っ暗な空からは、雨粒が。。。
お詣りの間は、お天気持ってくれたからよかったよかった。
そして、私は、大阪城(ホール)に向かうのでした。