「櫛田神社」は博多祇園山笠で有名なんですって!
今回の博多の旅、予定には入ってなかったんですけどね、住吉神社から網敷天満宮へとさまよっているうちに、立派な神社さんに行きあたって。。。たしかに、グーグルマップで「櫛田神社」って結構な主張をしていたんですけどね。。。せっかくだからと立ち寄った次第です。。。
楼門が勇ましいです!!
狛犬さんも、結構大きくて!!
そうそう、博多の総鎮守ですと!? そりゃぁまずは訪れとかないといけない場所じゃない?おすすめスポットでググった時には、出てこなかったてどういう事!?(^^;
楼門の天井には干支恵方盤(えとえほうばん)があります。
この矢印をみるに。。。今年の恵方は北北西ってことね?干支は猪を指してるけど。。。今年って寅年じゃなかった??まぁ、その辺はいろいろとあるんでしょう。。
手水舎も立派です!
こちらの狛犬さんは、THE 狛犬って感じです!阿吽の阿がすがすがしい!!
立派なしめ縄のある拝殿です
天平宝字元年(757年)の創建と伝えられ、左殿に大神宮(祭神天照大神あまてらすおおかみ)、中殿に櫛田宮(祭神大幡主大神おおはたぬしのおおかみ及び弟神乙若子命おつわくこのみこと)、右殿に祇園宮(祭神須佐之男大神すさのおのおおかみ)を奉斎しております。
中世、兵火に遭って度々、荒廃したが、天正15(1585)年、豊臣秀吉公が博多町割(復興)の実施と共に現社殿を建立、寄進した。古来、商売繁盛、不老長寿の❝お櫛田さま❞として篤い信仰を集めている。
なるほどねぇ。。。三つの神様が祀られてるから、提灯とかも3つの紋があるんですね!
鶴がいるわ~と見てみると。。。霊泉鶴の井戸というらしい。
ここに文章>信仰の上で、本井戸が御本殿真下近くから湧き出ていることから、不老長寿の水として、若干の水を三口に分けて飲み、本人、家族、親族の無病息災を願う冷水として長く大切にされて来ました。
ただ現在は、水質検査成分分析とかの厳しくて、飲めないようになったそうな。。。うん、井戸水は慣れてなかったら、すぐおなか壊すからね。。。
いやはや、何度見ても、かっこいいです!
社務所が本殿左側にあったので、御朱印をいただくためにそちらに向かったのですが、
あら、こっちにも門があるわと行けば、北神門とのこと。横の建物が工事中!
うわ、色違いのきらきらの狛犬さん!!ピンク系は初めてお目にかかりました!
社務所に戻って、御朱印をいただき、その背後に目をやると博多べいなるものが!
秀吉の太閤の博多町割りによって、よみがえった市街には焼け石、焼け川瓦が厚く塗りこまれた「博多べい」と呼ばれる土べいが長く連なりました。櫛田神社の「博多べい」は博多三傑の一人嶋井宗室の屋敷で380余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」を移築再建したものです。
そしてさらに奥に進むと注連懸稲荷神社(しめかけいなりじんじゃ)
お狐さん。めっちゃ、目があってます!!
のれんの稲穂が粋です!
石の鳥居には宇賀神社。あれ?住吉さんのお稲荷さんとこの神社もこれだった?お稲荷さんの元祖さんとか!?むむむ。。。わからぬが。。。進め。。。
うん、これで観るべきところはみたわねと納得はしたものの。。。そういえば本殿左側の向こう側で、さっきえらい人だかりがあった??って回ってみると
!!!おぉ、山笠!!何年か前に社員旅行で九州来たとき、これ(正確にはこれではないが)見て大騒ぎしてた人がいたぞ!!そっか、博多名物じゃないか!またしてもあやうく、「仁和寺にある法師」になるところだった(^^;
でっかいね~。
「博多祇園山笠」は福岡を打以上する祭りで、13世紀の半ばに疫病退散を願って始まったと言われています。祭りの期間は7月1日から7月15日まで。市内10数か所に高さ10メートルを超える豪華絢爛な飾り山笠が立ち、7月10日からは勇壮な7つの山笠が男たちに担がれ博多の町を走ります。
7月15日の早朝4時59分、一番山笠の豪快な櫛田入りのあと、次々と7つの山笠が市内およそ5キロのコースを走る「追い山傘」でクライマックスを迎えます。
山笠の人形や飾りは、博多伝統の人形作家の手によってつくられ、その題材は歴史や神話に基づくものが多く採用されています。祭りが終わると同時に解体されますが、ここ櫛田神社の飾り山笠は特別に一年中展示されています。
裏があるって事にも気付かずに。。。奥のみこし舎を覗き込んでたら、地元の観光案内人を自称してる(?)人が寄ってきて、牛車タイプのみこしなんよ。車輪がついてるやろ?ここ櫛田さんは神さんが3人いてて、1年づず順番にだされるんや。で、3年(4年か?)に1度、一緒にでるんが、おくんち祭や!!って一人説明をして去っていく後姿を見送った時に、はたと、右手に「裏側」がそびえたっていることに気づいたのである笑
あ、その自称観光案内人の人が進んでいった方向に、摂社が並んでるのが見えたので。。。
御朱印初穂料は500円。
住吉神社で書置き版を2体いただいて、2ページ分空けないと!!って気付いたのは、ここ(住吉さんの次のページ)にお願いします!って御朱印帳を渡したあとだった汗
あらそういえば。。。御朱印は櫛田紋だけなのね。。。
祝!九州上陸!お初のお詣りは「筑前國一之宮 住吉神社」
makiの御朱印旅、ついに九州に初上陸です!
最初に訪れたのが、住吉神社 筑前國一之宮ってことらしいです。ある地域の中で最も社格の高い神社のことらしいです。え~!これってまたシリーズ化!?って思いましたが、山陰道とか東海道とか、「ある地域」ってのがわりと難しく。。。
でもまぁ、九州上陸最初にお詣りするのが一之宮、って幸先いい感じ!?(笑)
博多駅から随分南に下ったところにあったホテルから北上していくと、住吉神社の駐車場に行き当たりました。とりあえず、そこから入ると東口ということだったのですが。。。やはり、表側から入らねば!と地図を参照。ちょうど反対側だった模様です。
改めまして。。。西門。この手前が道路になってるのですが。。。この鳥居の中まで車が入っていて、次の鳥居の前に車止めがあって、その真ん前に車止めてる人がいて。。。駐車場になってるにしても、ちょっと、びっくりでした。。。
参道が、結構長くって。。。途中に摂社(末社?)がありますが、先ずはご本殿へと進みます。
手水舎。コロナ禍のせいでひしゃくは置いてありませんが、最近はやっとお水が流れてるので。。。お清めします。
神門。随身さまが、守ってらっしゃる。。。灯籠もなんかかっこいい!
狛犬さんが、ずいぶんと苔むして、いい塩梅になってます。。。頭の上としっぽの先がとんがってるのが特徴かな。。。
本殿前の狛犬さんは、先のに比べるとずいぶんどっしりと勇ましいです!ほんとに、狛犬さんは様々ですこと。
本殿は国指定の重要文化財とのこと。
祭神は底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うわつつのをのみこと)
全国に約2000社ある住吉神社の始原とされ、開運除災・公開安全・船舶守護の神として信仰を集め、和香の神としても崇め敬われてきました。現在の本殿は、元和9年(1623年)福岡藩初代藩主黒田長政(くろだながまさ)が再建したもので、古来の神社建築様式を現代に伝えり「住吉造り」として国の重要文化財に指定されています。
無事に本殿をお詣りしたので、色々通り過ぎたところを改めてと思うのですが、本殿右手にさぁ!こっちに来なさい!と主張してるものがあるので、まずそちらへ。。。
古代力士像。開運・立身出世の後利益。
ここの住吉さんは、相撲の神様としても広く崇敬を集めているそう。
力士の手相に「力」という字が描かれています。力士像に触れて、お力をお受けください。
そう書いてあるので、掌の力を確認し、そこに手を重ね、パワー、いただきました!
そして本殿左手には、ずらりと摂社が並んでいます!全部お詣りすればいいのですが、その他、たくさんあるようなので、色々眺めさせていただいた結果。
船玉神社。
御祭神 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
ご進徳 旅行安全、道開き
博多の旅が、安全かつ円滑でありますように!とお祈りさせていただいた次第。
そして朱の鳥居が鮮やかな荒熊・白髭稲荷神社
御祭神 豊受大神(とようけのおおかみ)
ご神徳 商売繁盛
お狐さんが丸くてかわいくて、ちょっと柴犬に見えちゃいます。
石の鳥居には、富(?)賀神社って扁額がかかってます!?
とってお不思議でね、あれ?裏側にも鳥居があるの??って回ってみると。。。
こっちにも鳥居とお狐さんが護る小さな社殿があります。。。
こちらも犬っぽい狐様。。。どちらもお詣りさせていただきましたが頭の中は???が飛び交ってます。
裏側(っていっちゃ失礼なんだろうけど)の左手に進んで鳥居をくぐって振り向くと。。どちらからお詣りしてもいいんだろうけど、かなり混乱しました(^^;
東口からはいった私なので、一番最初にここに出会ったんですが、とりあえず、本殿から。。。ということで、再びやってまいりました!
三日恵比須神社
御祭神 恵比須大神(えびすのおおかみ)
ご神徳 笑門来福
天下太平の標柱(しめばしら)と赤いのぼりに心躍ります!
恵比須大神は、幸運と航海の神様。
そして本殿の手前に、ステキな笑顔の恵比須様
振れる場所によって様々な御利益があると云われています。御神像に触れられて、恵比須様と良いご縁をおむすび下さい。
触れていいのね。。。なになに。。腹が病気退散で、鯛が金運ですか。。。それお願いします。。。ちなみにお顔がかない安全で、腕が技能向上とのことでした。
・・・にしても、表情が愛らしい(#^.^#)
あ、また、入る方向間違えた!?(^^;
このすぐ脇に南門。私の予定では、ホテルからやってきて、この門目指したはずなんですけど、曲がるべきところで曲がらなかったから、東側にいっちゃんたのね。。
南門から入ると、ちょうどさつきの花が見頃です!お得意の、さつき越しの恵比須神社です(笑)
そして西門、表参道から入ると、これまた一番にお目にかかる神社へ改めて。。。
少彦名神社。小説神様の御用人2に出てきた温泉に入りたがった一寸法師の元になった神様。お気に入りなんですよ(^^) 薬祖伸・酒造神でもあるのですね。
御祭神 少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
ご神徳 身体健康
参道の脇にあるので、鳥居が横向き。折れ曲がった先に本殿があります。なんかとても愛らしい形に見えます(^^)
もちろんそれが大きな目的であったりするわけだから、ちゃんと、持って行ったんですよ!この後ライブに行くからって小さめのリュックに、なぜか2冊も詰め込んで!なのに、並んでる御朱印帳があまりにもかわいくて!やっぱ九州で1冊必要でしょ!!ってことで(*´▽`*)
御祭神の底筒男命・中筒男命・表筒男命。筒とは星のことだそうで、お星さまが描かれています☆★あとでネットで調べると、人気の御朱印帳らしいです!九州での最初に出会えた幸運は、早々の船玉神社のご利益でしょうか!?笑
そしては御朱印、直書きしてくださいます。ただし摂社末社は書置タイプ。全部で8種もありましたが、初穂料が各500円。予想外に御朱印帳(御朱印込)が2000円。ということで、選抜させていただきました。右下の、ご利益の判がいい味出してます!
第18番「滝宮天満宮」と 「滝宮神社」
四国(愛媛県)に行くに際し、車だったので道順を調べてたら、瀬戸大橋を渡り香川県を突っ切って向かうルートが記された。で、その地図の途中に私がつけてるであろうチェックポイントがあったので詳しく見てみると、とある神社であった。
御祭神はもちろん菅原道真公ですが、今までの神社とは趣がちょっと違うのかな?
光孝天皇の御代、仁和2年正月16日、菅原道真公が御歳42歳のときに讃岐の国司に任ぜられました。
同年4月御来任、阿野南条郡滝宮の官舎に住まわれました。現在の神社境内地はその官舎跡だと伝えられています。
仁和2年は西暦886年。
大宰府に左遷されたのが901年。政治の中心で活躍する前の時代ってことなのね。
ってか、そもそも学問の神様。天神様。→道真公ってことしかほとんど知らない私。
350枚越えの四国観光の写真は間違って削除してしまったこともあり、記事を書くにあたって、内容を持たせるのに、調べてみた。
代々続く、学者の家に生まれた道真。
秀才として成長。18歳で文章生(もんじょうしょう)という、漢学を学ぶ学生となり学生寮で学ぶ。
特に優秀な二人が選ばれる文章得業生(もんじょうとくしょうごうしょう)に選ばれその後も次々と出世。
従五位下(じゅうごいのげ)という貴族の身分を得、その後漢学を生かして貴族や天皇らに様々な助言や補佐をする文章博士という学者でも高い身分をゲット。順調に出世を重ねる。
そして、讃岐の国司になる。つぶさに国内を回り、民とともに生きて実績を残していたのを、宇多天皇に認められ、政治の裏側の権力争いがうごめいている中、参議(さんぎ)と呼ばれる朝廷の最高幹部のポジションにつく。
そして宇多天皇に恨み(?)を持ってる藤原時平が当時の最高官位だた大納言となり、いろいろ疲れた宇多天皇が退位、政治は道真にまるなげしたとか。
醍醐天皇が即位、道真は右大臣、時平が左大臣となりが、学者の身分で右大臣とは偉そうな!とかいわれていたあげくに、後ろ盾の宇多上皇が出家して、道真は孤立。
時平の道真外しの陰謀が始まり、道真は醍醐天皇廃位をもくろんでると天皇に密告。不安になった醍醐天皇が、道真の大宰府左遷を決定。
最後まで平安京に戻りたかった道真の思いはかなわず、大宰府で生涯を終える。
そうだったんだね~。なんか、宇多天皇に振り回された感で不憫だわ~。
でも讃岐の人々にも、大宰府の人にも愛されたということなので、それはよかった。
境内はとても静謐としてました。
七福神さんが勢ぞろいしてたし、(福禄寿さまが特化!?)なで牛さまはもちろん、うそ鳥さんてのもいてました。鶯(うそ)かえ祭ってのが4月の24日にあるそうで、それは手作りの木彫りの人形、うそ鳥を交換することにより悪きことを良きことに取り換え、福を呼ぶとされているんだそう。その木彫りの人形の見本(?)みたいなのがあったんですね~。
ただ、そんなに広い境内じゃなくて、わりとすぐに参拝は完了。御朱印を頂きました。
この時節、書置きタイプの配布でしたが、しおりとか、境]
でとれた梅から作った梅干しとか、全部セットで500円。なんだか幸せな気分です。
さてさて、無事に滝宮天満宮をお詣りしましたが、その前に問題は発生しておりました。
ナビで目的地登録をしていましたが、私、全然気づかずに滝宮神社を目的地にしてたみたいなんですよ。。。で、スマートインターから下ってきて、目的地付近に到着しましたって言われて、なんか、イメージと違って、随分とさびしいなぁ。。。ってうろうろしてたら、なんか、と~っても美しい桜の街道が目に入ってね。そこを通り抜ければ、ほんとの目的に滝宮天満宮に到着したという。。。
仁和寺の法師になるところでした!?(^^;
滝宮神社は御祭神がスサノオノミコト。もとは「牛頭天王(ごずてんのう)の祠」って称された。
うん、たっくさんの牛さまいたから、だからそこが目的地だと信じたんだよ。
でも道真公が国富を務めた時代、讃岐の国一国の氏神様だったんですって!
天満宮と合わせて滝宮両社と呼ばれてるんですって。
建物は古かったけど、とても立派でした。 いっぱい写真、撮ったのになぁ涙