大阪・淀屋橋の「御霊神社」
今年のお正月は久々に地元氏神さんの天神さんにちゃんと初詣した。さて、それはおいといて第一弾は何処にしようか?大阪・神社で検索かけたら、淀屋橋の御霊神社というのがクリップしてあった。(大阪はこの間の若宮八幡さんが超久々だったんだけど、令和元年に御朱印巡りを始めてから、行きたいところは結構リストアップしていた。。)
御霊神社?聞いたことある??そっか、年末に京都で下御霊神社に行ったんだ!でもまぁ、関係ないわね。。。一応ググったら、全国にたくさんあるみたいですね。。。
日本銀行のおしゃれな建物めざして、川2本超えて、川沿いを西に進み1個目の角を南に。。。めっちゃオフィス街!?右手にあるはずなんだけどな。。。と結構進むと鳥居を発見👀 扁額には「御霊宮」の文字。
御霊神社です。
鮮やかな、緑の屋根に、勇ましい狛犬さんが目印って書いてあったけどなるほどです。
勇ましい狛犬さんは、青銅製だそうな。。。
御祭神は五柱。
源正霊神(鎌倉権五郎景政公霊)
浪速の氏神として多くの氏子崇敬者の崇敬を集めていますが、古来、開拓、治水、生産、商業、文化、生命、厄病平癒、生活、交通、安産の守護神として仰がれ、特に厄除け、縁結び、諸事円満成就、開運招福、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄の神様として格別な尊崇を受けています。
創祀は、平安時代に書かれた『文徳天皇実録』の嘉祥三年(850)に八十嶋祭の祭場とされた圓神祠にはじまります。
この圓神祠こそが、御霊神社の始まりで、千年以上の歴史がうかがえます。
時代は下り、豊臣秀吉公の大坂居城とともに政治経済の中心地として発展し、諸大名の崇敬厚く寄進も相次ぎました。中でも後の津和野藩の祖である亀井茲矩侯が邸地を割いて寄進され、圓江神社は、文禄3年(1594)に、船場の現在のこの地に移りました。
その邸地内に祭られていた源正霊神こと鎌倉権五郎景政公の霊と共に祀られることになりました。鎌倉権五郎景政公は、平安時代末期の武将で豪快な武勇伝を残された方で、特に武家に信仰を集めていました。鎌倉権五郎の権五郎から五郎ノ宮、そして「圓御霊」となり、江戸時代の元禄9年(1696)に御霊大明神、御霊神社と改称いたしまして、今日まで船場の御霊さんと親しまれています。
商家の若女将を船場の地でごりょうさんと呼ぶのは玉岡薫さんの本でしったんだっけか?それのごりょうさんとごろ合わせみたいに親しみを持ってよばれているんだって(^^)
ホームページをみると、本殿の改修工事が終了しました!って出てます。平成の御改修工事とのこと。歴史が古い(千年以上!)のに、緑の屋根が、朱色の柱が美しいわけです(^^)
本殿手前の右側には東宮があります。
3柱と摂社12が祀られているそうな。。。看板にて割愛させていただきます、、、
狛犬さんが後ろ姿までかっこよくて、ついつい📷✨
本殿の右奥には摂社の松之木神社。松之木大神と朝吉大神がお祀りされてるとのこと。。。
その手前には、摂社 大黒社
大黒社・・・大黒様??といってもおおらかなお姿はありませんねぇ。。。大国主命がお祀りされてる。。。はい、そちらでございましたか。どうもすみません(^^;
二つの摂社の間には、不動明王様がひっそりと。。。かさこそと物音が気になっておりましたが。。。
不動明王様のお米を横取りする鳩、さらに「私の事、撮りたいの?綺麗に撮ってね」とばかりポーズをとり続ける。。。いや、あなた、邪魔なんですけどね(^^;
靭(うつぼ)の碑
御霊神社の前身である圓神祠が文禄三年まで靭の地(現在の西区靭本町)にあったことから、それを後世に伝えるため、明治27年に建てられた碑とのこと。
石に掘られた3文字目がわからず、看板を見れば、漢字が読めず。。。まぁかなうってあったんですけどね。この字面を見て私はウナギにょろにょろの図が頭に浮かんだんですけど。。。!?
明治17年~大正15年まで御霊文楽座ってのがあったらしいですよ。人形浄瑠璃をやってたとか。。文楽座ってのが人形浄瑠璃の劇場の名称なんだってね。(正確に言えばちょっとちがうらしいが・・・)江戸時代に大阪、高津新町に起こり、この地御霊文楽座の時代が全盛期だったとか。。。
それほど広い敷地ってわけではないんだけど、見どころ満載でした。ホントはあと一つ、ちょっと離れたところにある南鳥居ってのをおさえないといけなかった模様ですが。。。(^^;
皇紀2682年って書いてある??皇紀って?? 初代天皇である神武(じんむ)天皇が即位された年を元年とする日本の紀年法なんですって!?
お正月の特別版で初穂料は600円也。この時期は通常のでも書置きタイプ(500円)って事でしたので、せっかくなので奮発しちゃいました( *´艸`)
ちなみに私は大阪駅から歩きました!徒歩約25分くらい・・・かな(笑)