桜天神社は天神社です!
「名古屋三大天神参り」この看板を見て、私はこの桜天神社が道真公の天神さまだと気づいたのである。。。「桜天」神社だとでも思ってた!?桜の天ぷらじゃないんですから(^^;
ネットなどで写ってる奥の梅紋で、気付こうよ!!って事なんですが。。。ホント、申し訳ありません。。。
三大天神って。。。今回天神様用の御朱印帳は持ってきてないよ。次の機会にぜひ♪♪とかって思いながら、鳥居をくぐります。。
桜天神社 祭神 菅原道真公
織田信秀(信長の父)は菅原道真公を深く進攻し京都の北野天満宮より、公の神像を勧進して那古野城中に洞を祀った。これを天文七年(1538年)現在の地に移した。愛知県下で最も由緒ある天神社で元治宝歴年間者昭和二十年三月の大空襲など三度の戦火にも御神体は氏子により守られ現在祀られている
氏子さんの力、すごいね(^^)
なんせ、俗にいうウナギの寝床のように、道幅が狭いので、赤鳥居の奥に隠れるように小ぶりの狛犬さんがお出迎えです。。
そしてなんと!手水舎には、お牛さまが!!!・・・って奥まってるので見えずらい。。ひしゃくには、絵馬の様にお願い事とお名前が書いてありまして。。。実際に水場においてあるのもそうで、ちょっと、もう皴なくて、アルコール除菌でシュッシュと済ませた次第。。。
・・と歩を進め、正面の建物にお参りしようと思ったら、実は本殿が別にあったという衝撃!!
お詣りを済ませた後、ご無礼化とおもいつつ、木扉の立派な梅紋にひかれまして。。。
ちなみに足元にはなんか、神々しい碑が!?と思って読んでみると。。。
信長攻路~桶狭間の戦い 人生大逆転街道~の木瓜動にこちら「桜天神社」が入ってますよってことらしい。くわしくはこちら → 信長攻路 │ 桶狭間の戦い 人生大逆転街道
でもね、この案内の主なスポットには書いてないって言うのがちょと悲しい・・・
話は戻って、もちろん、お牛さまもいらっしゃいまして・・・すぐに痛くなる頭とおなかをなでた後、あ!消毒!?ってここで再びシュパシュパして、同じところを撫で除菌。。
よく見ると、右の角が折れちゃってます!? おかわいそうに。。。(T_T)
あっという間に参拝を終えて帰り道。。。菅原神社の表札(?)を発見!!
看板を書き起こしますと・・・
神社敬称の由来
織田信秀が天文七年(1537年)京都北野より菅原道真公の木造を迎へこの地に遷座し、おまつりした。
この境内には桜の大樹あり「櫻天満宮」といい多くの人に親しまれてきたが明治維新(1871年)神沸分離令の折り「菅原神社」と敬称し明治三十五年菅公千年祭を記念して「菅原神社」の社碑を建立した。
「桜天神」と敬称し崇敬せられている
とのことです。桜の大樹??一通り、そのあたりを回ってみましたが見当たらず。。。本殿の前にあるのが、その子孫かしら・・・今辺りでは桜満開なのに、ここは日当たりが悪いから、まだつぼみ・・・残念!!
ちなみに入口外にあるこちらの「出石そばの辰鼓楼」のようなものは何かと見渡せば「時分鐘」というもので、
万次四年(1661年)三月藩命によりここに鐘楼を造り昼夜十二時に金をついて時を知らせた
金は鍋屋町水野太郎左衛門藤原則重の策であった 然し宝暦十三年(1763年)の火災で焼失した。翌明和元年藤原高政 鐘を新調し時を知らせた
なるほど、偶然この場所にあっただけで、神社さんとはとくに関係がないのね。。。まぁ、確かに、敷地外!?でも、特に音色がよく・・・って一度聞いてみたいよおね~♪♪
で、御朱印はこちら。。道真公(?)のスタンプが、なんか、キュートです(^^)
所在地 | 〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦2丁目4-6 MAP |
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交通アクセス | (1)地下鉄桜通線「丸の内駅」5番出口より徒歩2分 |